さて、今日は私は40歳過ぎてやっとサラリーマンに
向いていなかったって分かった話です。
私は40歳過ぎてやっと分かりましたが、
「自分は本当にこのままサラリーマンでやっていけるのか?」
「毎日、しんどい思いをして会社に行くのをまだ何十年も続けるのか?」
と、悩んでいる人の助けになればと思います。
私がサラリーマンに向かないと思う人はこんな人です。
- 仕事に対して真面目な人
- 信頼で仕事をする人
- 良ではなく最良を目指す人
- 失敗を恐れずチャレンジする人
- 建前ではなく本音で仕事をする人
逆に言えば、
不真面目で上下関係を重んじ、
ミス無く良で仕事をシャンシャンで終わらせて
建前で話す人がサラリーマンに向いている。
これが20年サラリーマンを経験した私の結論です。
全部の会社がそうだとは思いません。
ただ私の経験と周りから聞く話をまとめた結果です。
でも、これってどうなんでしょう?
こんな人が幅を利かせて、
本当に会社のためになるのでしょうか?
私は器用貧乏なところや周りに合わせることが
なまじサラリーマンをできてしまいました。
自分が、
「本当はサラリーマンに向いていない。」
気づいたときには40過ぎてたわけです。
さらに幼少期の経験もあると思っています。
両親は自営業で魚屋をやっていました。
私が幼稚園に入る頃に廃業しているので5年程度です。
その頃の記憶はありませんが、
「ビジネスって難しいんだな。」
というのが、子供の頃からの印象でした。
小学校の頃も家の近所に商店街があり肉屋や
八百屋、とうふ屋の同級生がいました。
その両親は朝早くから仕入れに行ったり、
夜7時まで営業したりしていたので、
とても忙しそうに見えました。
小学生の頃、一駅となりで再開発が行われました。
中学生の頃、さらに反対側の一駅となりでも再開発が行われました。
すると、お客さんがそっちに流れて、
地元の商店街は寂れてしまいました。
テナントがガラガラになって廃墟のようになったんです。
子供ながらに
「寂しいというか、ちょっと雰囲気が怖いな。」
って思いました。
そんな商店街だとさらに客足が遠のきますよね。
そんなあおりを受けて何人かの友達のお店は廃業しました。
再開発したところへ店舗を移動した友達もいました。
こういうのを見て育ったので、
「サラリーマンや公務員のほうが安定していていいや。」
って、強く思うようになったんです。
子供の頃の影響ってかなり大きいんですよね。
話は戻って我が家ですが魚屋を廃業した
父親はトラックの運転手をしていました。
当時は凄く給与のいい仕事でローンの無い持ち家だったこともあり、
羽振りはかなり良かったのを覚えています。
母親は専業主婦でブランドの服や靴が家にたくさんありました。
それがどういうものかは全く分かっていませんでしたが、
2万とかする靴を平気で買っていました。
実家を売却するとき私が片付けたのですが、
何十着というブランドの服と100足くらいの靴を捨てました。
多分、300万円分以上は捨てたと思います。
そんな割と裕福な家庭だったのですが、
高校入学前に事件が発生しました。
父親がトラックを降りて会社勤めになったんです。
父親は多くは語りませんが、
人身事故を起こしてトラックを降りました。
ここから貧乏が始まりました。
父親は単身赴任となり、
母親は2つの仕事を掛け持ちで働き始めました。
父親も単身赴任の割に給与が安く頑張って、
会社の利益を上げても親会社の業績が悪い
ということで寸志のようなボーナスでした。
それでも父親は、
「会社に恩義がある。」
と一生懸命働いてしました。
高校入学祝いの家族旅行は無くなり、
両親からのにミニオーディオデッキを買ってもらう
予定でしたが、それも無くなりました。
大学を決めるときも、
「下宿はさせられない。」
「私学は無理。」
と言われ、なんか凄く悲しくなったのを覚えています。
お金が無くて選択肢が狭められるって辛いですよね。
人のやる気や希望を削いでしまうんですから。
今、私が娘が勉強や留学したいと思ったときに、
お金のことで断念させたくないと強く思っているのは、
この経験からだと思います。
結局、私は授業料が安くて勉強しなくても行ける
夜間の大学へ進学しました。
人生に「もし」はありませんが、
自分にもっと選択肢があったら勉強を頑張ったり、
もっと自分が行きたいと思う大学へ
進学していたかもと思うと残念に思います。
私は人生の選択肢は多いに越したことはないと思っています。
また、それがお金の問題で狭まるのは悲しいと思っています。
進学したのが夜間の大学だったので、
昼間は時間があるのでバイトをしていました。
工場バイトで時給は1200円くらいだったと思います。
大学生の割には結構な収入がありました。
このとき母親に、
「厚生年金に入ったほうが将来たくさん年金がもらえるから入りなさい。」
と、言われて入りました。
当時はまだ学生で知識も無く年金問題も
発覚していなかったので言われるがままに入りました。
学生の割にはそこそこお金がありましたが、
社会人の友達とは格差がありました。
私は400ccのバイクを買うのが精一杯で、
限定解除をしてもそれに乗っていました。
でも、社会人の友達は限定解除したら直ぐにリッターバイク、
1000cc以上の排気量のバイクをポンポン買っていきました。
なんか、ここでもお金の格差を感じました。
そして社会人になってからあるバイク屋さんに通うようになったのですが、
店長がかなり変わった人でした。
この「変わった人」というのは今までの自分の経験の外にいる人で、
言っていることは本質的な人でした。
「ルールに書かれていなければやっていいってことだ。」
「年金なんて貰えないんだから払わず資産を作れ。」
自分がバイクでレースを走るときだって追い越しに
ダートを使ったりするんですよ。
「緊急回避」という名目で。(笑)
審判の呼び出しもありませんでした。
ルール上OKならOKってことです。
普通はしませんよ。
レースで違反があると審判長から
コントロールタワーに呼び出されます。
これ、結構ビビリます。
基本的に自覚は無いし内容によっては失格ですからね。
私も一度黄旗追い越しで呼び出されましたがドキドキでした。
そして店長から色々と怒られました。
「言い訳するな!!」
「レースは本気でやれ!!」
普通ならお客さんを怒ったりしないですよ。
それだけ真剣に付き合ってくれていたということです。
後にも先にもこんな他人を本気で怒ってくれる人との
出会いはありません。
今までの私の常識が全く通じない、
言っていることは的を得ていて、
世間の常識は気にぜず本質を重んじる人でした。
そして、ビジネスを理解していました。
残念ながらバイク屋は廃業しましたが、
今は他のビジネスをやっているようです。
こういう人って失敗しても何事も
無かったかのように復活してきますよね。
トランプ大統領もそうだしロバート・キヨサキ氏もそう。
これまでの私は周りの目を気にしすぎていました。
社会で生きていくためには「良い子」でなければならない
と思っていたんです。
これって誰の為に生きているか分からないですよね。
ここから私は、
「もっと自由に考えて行動していいんだ。」
って、考えられるようになったんです。
もちろん、人に迷惑かけないとか、
そういうことは考えてです。
すると、色々とトライできるようになりました。
バイクのロードレースに参戦してみたり、
モトクロスに参戦してみたり。
でも、まだビジネスを始めようという
気持ちまではありませんでした。
心の奥で、
「ビジネスは大変」
「ビジネスなんて自分には無理。」
という気持ちがあったんです。
ちょっとだけ、
「自分でバイク屋をやってみようかなぁ、、、」
とか思いましたが、
やらなくて良かったと思います。
無知なままやっていたら失敗していたでしょう。
ビジネスは知識が必要ですからね。
バイク屋のオーナーは私の常識を
ことごとく打ち砕きましたが、
まだ、私の中には幼少期からの
自営業に対する考えがこびり付いていました。
そして、ちょうどこの後にブラックな職場に
転職して結婚して子供が生まれるのですが、
詳しくは私のプロフィールを読んでもらえたらと思います。
そのブラックな職場で頑張りましたが、
出世コースから外されました。
これから収入は伸びない。
でも、家族は養わないといけない。
そんな問題に直面しました。
そこで思いついたのが「副業」です。
当時はまだ副業なんて言葉は、
ほとんど耳にすることがありませんでした。
このとき役立ったのがバイク屋オーナーの教えだったんです。
「ルールに書かれていなければやっていいってことだ。」
私は就業規則を調べて勤める会社は、
「二重雇用禁止」ということを知りました。
さらに雇用とは何かを調べ
「誰かに雇われなければいい。」
と理解しました。
つまり、他の会社に勤めたりパートやアルバイトはNGだが、
委託業務や自営業はOKで社長だってできてしまうことが分かったんです。
「これなら、何でもできるやん!!」
マジで思いました。
ここからやる気マンマンですよ!!
だって、縛りが無いんですから。
「これぞ、知識の勝利だ!!」
って、心の中で叫びました。
大したことでは無いんですが、
気持ちはホントに盛り上がりました。
まあ、それでも会社や同僚には、
副業を始めるなんて言いませんでした。
変に
「儲けているらしい。」
「本業そっちのけ。」
みたいに見られるは面倒でしたからね。
そこから不動産投資の勉強に没頭しました。
2年間必死で勉強して徹夜で融資資料作って銀行回って物件買って。
本当に面白かったし貴重な体験もできました。
今はビジネスに没頭しています。
こうして見ると常識を打ち破って不動産投資を
始めるまで40年ちょっとかかったんですよ。
40年ですよ!!
凄く長い時間が必要でした。
子供のときの体験や親からの教育って
凄く強固に人を縛るんです。
私は運良く常識に囚われないバイク屋オーナーに
出会って常識が破壊されました。
それでも、そこから不動産投資を
始めるまで10年以上かかりました。
本当に教育というバイアスを振りほどくのは
大変だと分かりました。
そして、40歳を過ぎてやっと私はサラリーマンに
向いていないと分かりました。
本当は分かったというより、
「受け入れられた」
というのが正しいと思います。
それまでは、なんとかサラリーマンで
うまくやっていくことに必死でした。
制服に身体を合わせようと必死だったんです。
でも、それは自分の狭い常識で
視点が変われば非常識なわけです。
今はサラリーマンに向いていないことを
受け入れただけで本当に心が楽になりました。
これを受け入れるだけでも本当にラクになります。
リストラされて退職金上積みされたら
ラッキーくらいに思ってます。
ちょっと、あなたも一度考えてみてください。
あなたはサラリーマンに向いているのかどうかって。
もちろん向いている人だっています。
企業に属して大きな仕事を回すことも大事です。
でも、それを心や身体を壊してまでやるのは違うと思うんです。
サラリーマンが無理なら無理で違う道があります。
無いと思っていたら、
それはちっぽけな狭い常識です。
本当に今一度、あなたが今の働き方に向いているのか
どうかを真剣に考えてみてください。
他にも働き方を考え直した理由は
プロフィールでも話しています。
良かったら読んでみてください。
はじめまして、びんちゃんです。 私はサラリーマンとして製造業の設計業務をしながら コンテンツビジネスで社長をやってます。 今では社長なんてやってますが、 実は今まで副業を色々とやってき[…]